『My Left Foot』(マイ・レフトフット)でアイルランド英語

ETCマンツーマン英会話 1932年6月クリスティ・ブラウン(Christy Brown)はダブリンのロトゥンダ病院で生まれます。しかし、彼の父パディー(Paddy Brown)は医師から、彼が重い脳性麻痺であることを告げられます。両親は息子を特別な施設には預けず、他の兄弟と一緒に自宅で育てることを決めます。

 言葉を学ぶことさえ難しいとされたクリスティはある日、左足にチョークを挟み”MOTHER”と床に書いて見せるのです。「さすが私の息子だ」と心から息子を誇りに思った父は、息子を肩に担ぎ行きつけのバーに駆けつけ、客達に高らかに宣言するのです。

  This is Christy Brown. My son. Genius.
  (こいつはクリスティ・ブラウン。私の息子だ。天才だ)

 さて、この”My son“が”Moi son“(モイ・ソン)の様に聞こえます。これはアイルランドの英語の特徴の一つ。母音が次のように変化する傾向があるようです。

アイルランド英語 母音の変化

“night”、 “like”、 “I”、 ”Ireland”等が、”oil”の”oi”のように発音される傾向があります。

night“ ⇒ ”noight
like “⇒ ”loike
I“ ⇒ ”Oi
Ireland” ⇒ ”Oireland

 

その父が無くなった際に、家族、友人がまたこのバーに集まり通夜が行われます。「パディがお気に入りだった歌を」というクリスティの言葉に続いて、次の曲を皆で歌います。

The Foggy Dew

It was down the glen one Easter morn
To a city fair rode l
There armored lines of marching men
In squadrons passed me by

No fife did hum
No battle drum did sound its loud tattoo
And the Angelus bell o’er the Liffey’s swell
Rang out in the foggy dew

あるイースターの朝 谷を行かば
それは都へ続く はるけき道のり
兵士の行進 勇ましき長靴の音
かたわらを過ぎ行かん

横笛の調べも 太鼓の音もなく
帰営のラッパ 高らかにさえて
たゆとき流れ リフィーの川面より
霧の港に 響き渡らん

 この曲は1916年イースター蜂起を歌ったもの。イースター蜂起とはイギリスの支配を終わらせ、アイルランド共和国を樹立する目的でアイルランド共和主義者たちが引き起こした武装蜂起です。「第一世界大戦中に多くのアイルランドの若者がイギリス軍の監督下で命を落とした。我々はイギリスではなくアイルランドの為に戦うべきではないのか」と歌っています。歌は次のように続きます。

Twas better to die ‘neath an Irish sky than at Suvla or Sud-El-Bar

スーヴラ湾やサデルバの村(で英軍に従う)よりは、アイルランドの空の下で死ぬ方がいい。

 アイルランドの人々におけるイースター蜂起の意味合いをとても興味深く思います。また、もし自分が納得できないものの為に命を落とすことになったとしたら、その気持ちはどれほどのものであろうかと思いを馳せてみたりします。

 パディを演じたレイ・マカナリーは、この映画が公開された4ヵ月後の1989年6月15日心臓発作で亡くなっています。63歳でした。

(*)参考リンク
The Foggy Dew