シリアの英語ニュースを読み解くコツ A History Of Syria

0025713c_medium メディア・リテラシー(media literacy)という言葉をよく耳にするようになりました。これは、情報を評価・識別する能力のこと。

 たとえば、新聞やテレビ、ウェブなどから流れてくるニュースを、そのまま鵜呑みにするのではなく、「そのニュースで報じていることは本当なのだろうか?」、「何故そうなるのか?その背景には何が?」という疑問や主体的な意識をもって、物事の真偽、本質に迫って行ける能力のことだと思います。

 この能力を高めるには、複数のメディアから情報を得ること。そして、海外のニュースに触れることは、その有効な手段のひとつに違いありません。

 しかし、そこには英語の壁が存在します。その壁を乗り越えるコツは、まずそのニュースに関連するキーワード、特に固有名詞を英語で書き出してみることかもしれません。

 なぜなら、それらの固有名詞は、私たちが日本語のニュースの中で見聞きしているカタカナ英語に訳された段階で、語音、語感が随分と変わってしまうものが数多く存在するからです。たとえば、BBCで放送された『A History Of Syria』。日本語では聞きなれたカタカナの固有名詞も、英語になると時々まったく異なった印象の言葉に聞こえてしまいます。例えばシーア派シーアイツスンニ派スニーズのように。

 シーア派の人々 ⇒ 「シーアイツ」のように聞こえます。 ⇒ Shiites

 スンニ派の人々 ⇒ 「スニーズ」のように聞こえます。 ⇒ Sunnis 

 アラウィー派の人 ⇒  「アラワイツ」と言っています。 ⇒ Alawites 

 クルド人 ⇒ 「カーズ」のように聞こえます。 ⇒ Kurds 

 アルメニア人 ⇒ 「アーミニアンズ」のように聞こえます。 ⇒ Armenians 

 先ずこれらの固有名詞を一通り抑えておくと、次からぐっとニュースが分かりやすくなるかもしれません。

番組の中で登場するキーとなる固有名詞

6:24 Prophet Mohammed 
預言者モハメッド

8:38 Imam Ali (イマーム・アリ)
【人名】 モハメッドの娘婿 モハメッドの後継者 4代目カリフ イマームは「(イスラム教の)導師」。

8:43 Shiates  / Shiites (シーアイツ)
シーア派の人 《ムハンマドの女婿アリーを正統的後継者とみなすイスラム教の一派》

8:55 Sunnis (スニーズ)
スンニ[スンナ]派の人 《4 代カリフまでをムハンマドの正統的後継者と見なすイスラム教の多数派の人》

9:03 Imam Hussein (イマーム・フセイン)
【人名】 イマーム・フセイン、フセイン師
イスラム教の創始者ムハンマドの孫で、シーア派の3代目イマーム。680年、対立するスンニ派のウマイヤ朝軍に包囲され非業の死を遂げた。イマームは「(イスラム教の)導師」。

9:46 Christian Crusaders (クリスチャン・クルセイダーズ)
十字軍

10:01 Saladin (サラディン)
【人名】  サラーフッディーン (Ṣalāḥ ad-Dīn)
十字軍との覇権争いに終止符を打ち聖地エルサレムを奪還したイスラームの「英雄」

11:23 Prince Faisal (プリンス・フェイザル)
【人名】 ファイサル1世
ヒジャーズに生まれ,イスタンブールで育ち,1908年メッカに戻る。16年に開始されたアラブ反乱を指揮し,18年ダマスクスに入る。20年アラブ・シリア国民会議に推されてシリア王国の国王となるが,フランス軍の侵攻により追放される。イギリスの後押しで,21年イラク国王となる。(在位1921‐33年。)

11:38 T.Lawrence (T.ロレンス) Lawrence of Arabia
【人名】 トーマス・エドワード・ロレンス(Thomas Edward Lawrence)
イギリスの軍人、考古学者。オスマン帝国に対するアラブ人の反乱(アラブ反乱)を支援した人物で、映画『アラビアのロレンス』の主人公のモデル

12:16 Mark Sykes (マーク・サイクス)
【人名】 イギリスの中東専門家。
第一次世界大戦中の1916年5月16日にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定、サイクス・ピコ協定の原案をフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコと共に作成

14:15 Sultan Pasha al-Atrash
【人名】  スルタン・パシャ・アトラシ
シリア革命の総指揮官

17:56 Kurds (カーズ)
クルド人

17:56 Armenians (アーミニアンズ)
アルメニア人

17:56 Jews (ジューズ)
ユダヤ人

18:01 Shiite Muslims (シーアイト・モスレムズ)
シーア派の人

18:21 Alawites (アラワイツ)
アラウィー派の人 Alawis
イスラム教(イスラーム)の一派 シーア派の系統

22:28 Hafez al-Assad (ハフェーズ・アラサド) 
【人名】ハーフェズ・アサド 現シリア大統領バシャール・アサドの父

27:11 Ba’ath Party (バースパーティ)
バアス党

28:10 Muslim Brotherhood (モスレム・ブラザーフッド) 
ムスリム同胞団
中東におけるスンナ派のイスラム主義(イスラム原理主義)組織

34:59 Golan Heights (ゴーラン・ハイツ)
ゴラン高原

37:34 Bashar al-Assad 
バシャール・アサド大統領

 もちろん、海外のニュースがすべて真実を報じているとも限りません。虚偽を伝えていなくとも、誤った印象を持ってしまう場合もあるかもしれません。『A History Of Syria』では、バシャールの政治改革が進まなかった理由についてはあまり深く触れていません。番組の説明からだと、「バシャールが権力におぼれて行ったた」というような印象も受けます。

 この点に関して、元シリア大使国枝昌樹氏が、IWJの番組の中でジャーナリスト岩上安身氏のインタビューに応えて次のような解説をしています。

 バシャールは若くして大統領となります(2000年7月17日、当時34歳)。「これは改革をしないともたない」と言う気持ちでその地位に就きますが、2001年9月11日にNYでアルカイダによるツインタワーの爆破がある。その後、一挙に政治が変わり、2003年のイラク開戦となります。

 その時バシャールは開戦に猛烈に反対します。当時シリアは安全保障理事会の非承認理事国でした。でも戦争が始まってしまった。そしてすぐにサダムフセイン政権は倒れるわけです。

 その後、シリアの国境を通してシリアからイラクにどんどんテロリストや反体制派等が入っていくのをシリアは見逃していた。すると、それに対してアメリカは「けしからん」と制裁を重ねるわけです。それとともに、当時の国防長官のラムズフェルドなどは、「次はシリアだ」と明確に言うわけです。

 それは実現しませんでしたけれども、バジャールの方は政権の存続に圧力がかかってきたということで、これ以上政治改革をやっていくとこの国は持たないということで政治改革を一旦止めます。

 さらに、2005年にレバノンのハリーリー元首相が暗殺されますが、その時はバシャール政権が彼を殺したんだと指弾されれてしまいます。(中略) アメリカもすぐに在ダマスカスの大使を引き上げさせる。西欧諸国もみなシリアとの関係をレベルダウンする。

 シリアはものすごく圧力を受けることになり、そうするともう政治改革は行えない。その代わり、経済改革のほうを進めようとするが、経済のほうもアメリカからの経済制裁がありますから思うようにいかない。その中でも年率3%から5%位の経済成長は実現していました。

 しかし、経済的なものはともかく、社会的はあるいは政治的な改革が全然おこなわれなかったと言うことで、一般の人はバシャール大統領は自分の独裁者としての立場に安穏として全然国民とは離反して生活し政治改革を進めなかったと言うけれども。

 進めるに進められない状況があった。そういう国際情勢があったということを忘れてはいけないと思うのです。

(国枝昌樹氏の説明より抜粋)

下記はダイジェスト版映像です。全編をご覧になる場合は、下記のリンクからIJW会員登録(有料)を。

2013/09/06 アルジャジーラの”偏向” 元シリア大使が重要証言 ~岩上安身による国枝昌樹氏インタビュー

(*)参考書籍

シリア アサド政権の40年史 (国枝昌樹 著)

(*)参照リンク
英辞郎